2022年09月14日

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ストラテジーブレティン 第313号

マイナス実質金利の下でのドル高進行
~米国のマイルドランディングを可能とする2大要因~

前人未到の環境、Data Dependentで

2022年は前人未到の不透明な環境の下で始まった。米中対立と保護主義、40年ぶりの高インフレ、サプライチェーンの寸断、急ピッチ利上げ・金融引き締め、コロナによる働き方・生き方の変化と労働市場の変質(=労働者のバーゲニングパワーの増大)、そしてとどめがウクライナ戦争とエネルギー危機、であった。どのような形に収まっていくのか、全く読めない、FRBパウエル議長が繰り返し述べているように、Data Dependent データを注視し弾力的に来るべき時代の輪郭を考えるほかない状況である。

 

リスクテイク促進の時代はまだ終わっていない

但し、決めつけは危険である。ディスインフレ時代の終焉とインフレ時代の到来、低金利から金利上昇の時代へ、グローバリゼーションの頓挫(国際分業の進展から国際的分断・対立の時代)へ、小さな政府から大きな政府(規制緩和から規制強化)等、が所与のもののごとく語られている。金融資本市場でも、市場フレンドリーな中央銀行が潤沢な流動性を供給しリスクテイクを後押ししたGreat moderationの時代が終わり、よりリスクとボラテリティが高い時代に入る、との想定が語られているが、そうだろうか。

 

相対的低金利継続、ドル高時代始まる

何が変わるのか、何が不変なのかの見極めが大事である。まず相対的低金利が変わらなかったことが驚きである。次にドル高へと為替相場が大きく変わったことが驚きである。この相対的低金利継続とドル高こそ、米国経済マイルドランディング、その後の成長加速の推進力になるだろう。武者リサーチはコロナショックによっても頓挫しなかった米国の長期株高トレンドは健在と考える。

 

 

(1) 相対的低金利 (G>R: グリーンスパンの謎)は変わらない

 

うれしい驚き、グリーンスパンの謎の継続

2022年の市場展開で、最も安堵させたのは、米国の相対的低金利が継続したことである。8~9%のヘッドラインインフレーション(コアCPIでも6%)、年初累計で3%に上る強烈な利上げ(9月FOMCでの0.75%利上げを加味して)とQTの開始という激変の中で、米国10年債利回りは3.5%以下で大きく跳ね上がることなく推移している。

 

何を物価指標として採るかにもよるが、通常用いられるコアCPI(8月6.3%)を使えば大幅な利上げにもかかわらず、実質金利は3%弱の大幅なマイナスのままである。と言うことは金融の足は、ブレーキペダルではなく依然アクセルペダルに置かれているということである。

 

 

成長と資産価格上昇のアンカー健在

米国10年国債利回りは2000年頃から名目経済成長率を大幅に下回っていたが、コロナショック、2022年のインフレショックを経た今日でもその関係:

“ G (経済成長率) > R (金利) ”

が持続している。名目GDP成長率は2021年10.1%、2022年1Q 6.6%、2Q 8.4%であり、2023年以降も4%を下回るとは想定できない。つまりどこまで行っても10年国債利回りが名目成長率を上回るとは考えられないのである。

 

これは2005年に当時のグリーンスパンFRB議長が、高成長下、大幅な利上げの下でも長期金利が上昇しないことを指して、「謎」と言ったことの定着化である。イノベーションによる資本生産性の向上、潤沢な貯蓄とドル高による米国への資本集中が寄与していると思われる。G (経済成長率) > R (金利) 、グリースパンの謎の定着こそ、リーマンショック以降の米国経済と資産価格のアンカーであったが、それが健在ということは、米国経済と市場に対して楽観的になれる大いなる根拠となる。

 

FEBに裁量余地与えるグリーンスパンの謎の継続

良いインフレを殺さないためのフレンドリーな金融政策は、長期金利が抑制されていることで実施できる。イエレン財務長官が主張する高圧経済状態を持続することで生産性上昇と資産価格上昇が維持できる。高圧経済状態を維持するためにFRBが想定するインフレ率を3%へとターゲットをシフトさせることも可能となる。

 

 

期待インフレ率の低下顕著

問題は、現下のインフレ情勢が極端に振れていて、真実が見えにくい状況にあることである。図表4に見るように現在の米国物価情勢はようやくピークアウトしつつある段階にあり、インフレとの熾烈な闘いが求められる状況にある。しかし物価連動国債(TIPS)市場においては既に大幅な物価下落が織り込まれている。現在の物価上昇の過半はサプライチェーンの寸断、ウクライナ戦争、コロナ禍による中国ロックダウン、等の一過性の供給制約によってもたらされたものである。それら供給制約の緩和が見えており、加えてFRB利上げによる需要減速期待が織り込まれたことでTIPSから逆算される期待インフレ率は大きく低下しているのである。図表5に見るようにTIPSによる期待インフレ率の変化を見ると3月のピークから直近までに、10年で3.0%から2.3%へ、5年で3.7%から2.7%へ、2年で4.9%から2.6%へと急低下している。

 

この期待インフレ率に基づけば、実質金利は既に大きくプラスになっており、金融は経済に対してブレーキ役を果している、との評価になる。一時的な高インフレに反応して過剰に金利を引き上げれば、既に物価上昇が沈静化している将来に過度の負担を負わせかねない。10年国債利回りが相対的に低位で安定していることは、オーバーキルを回避するためのフリーハンドをFRBに与えるもの、と考えられる。 

 

 

 

(2) 2022年の大きなポジティブサプライズドル高

 

長期ドル高時代が継続中

2022年に大きく変化したことはドル高である。主要国通貨加重平均でみたドル指数、ドルインデックスは過去一年間で92から110へと19%上昇した。武者リサーチは一貫して米国のイノベーションの強さと長期ドル高トレンドを主張してきた(「コロナ時の一時的ドル安が終わり、2011年をボトムに始まった長期ドル高トレンドが続いていくことになる、と想定される。」ストラテジーブレティン292号2021年10月19日) が、それが実現している。 

 

 

 

ドル高が何重もの米国経済の支えに

このドル高が、①輸入物価引き下げによる米国内インフレの抑制、②米国人の対外購買力の増大、③米国への資金流入による米長期金利の抑制、となって何重にも米国経済を押し上げている。同じインフレ下ではあるが1970年代の高インフレ時代のドル安とは正反対の経済効果をもたらしている。

 

物価抑制、1割のドル高でCPIを最大1.3%押し下げる

インフレリスクに対してドル高は好都合、ドル高で輸入物価が安くなる。米国は年間2.8兆ドル(364兆円)の財輸入がある。前年比10%のドル高は2800億ドル(37兆円)の輸入価格低下効果をもたらす。そのすべてが米国輸入業者と米国消費者にもたらされるわけではない。しかし、米国の年間消費額は17兆ドルなので、それがすべて消費物価に反映されると仮定すれば、消費者物価を最大限1.3%押し下げる(=実質購買力を押し上げる)効果をもたらす。

 

他方、ドル高のマイナスは米国企業の対外価格競争力の低下だが、今米国企業が他国と価格で競争をしている品目は自動車などごくわずかである。大半は半導体製造装置など技術・非価格競争優位のある商品であり、ドル高になっても競争力が低下する恐れは小さい。GAFAMなど海外に競合企業がない場合、ドル高によるコスト上昇は現地販売価格の上昇で対応でき、その場合米国の経常収支を改善させる。図表8は米国の巨額の財貿易赤字と大幅なサービス・所得黒字の推移であるが、ドル高は財輸入額をドルベースで大きく引き下げ、他方でサービス価格はドルベースで維持される可能性が強く、経常収支を大きく改善させていくだろう。

 

 

米国覇権の秘密兵器ドル

「最も重要なことは、ドルが米国の秘密兵器であるかもしれないことである。ドルは時として米国の地政学的目的達成のために使われてきた。かつて対日、今後は米中対立の戦略手段としてドルが利用されるだろう。米国の喫緊の優先課題、中国排除のグローバルサプライチェーン構築にとってドル高は必須であると考えられる」(ストラテジーブレティン292号2021年10月19日)。

 

 

ドル高は覇権国米国にとって有利、かつ必須である。今唯一の世界通貨ドルは、何の裏付けもいらず自由に印刷・発行できる米国の特権である。ただで印刷できるドルが強いならこんないいことはない。リスクは①ドル価値の減価=インフレ、②ドル基軸通貨の地位喪失、の2つだが、当面その恐れは殆どない。図表9は主要国の累積経常収支≒対外累積債権債務であるが、米国のみが巨額の累積債務を続けていることがわかる。対米国債権が各国の支払い準備なのであり、米国は世界最大の債務国、イコール唯一の巨額の世界マネー供給国なのである。

 

圧倒的米国力優位、特にイノベーションが顕在化

「何故、今ドル高なのか」だが、米国国力の圧倒的優位が鮮明になったから、と言うほかない。米国は世界最大の石油ガス産出国かつ純輸出国である。また世界最大の穀物輸出国でもあり、エネルギー穀物価格の上昇は米国にとってプラスである。製造業の衰退が強調されるが、先端産業での競争力は圧倒的である。中国を除く世界のインターネット・サイバー空間を米国のGAFAM5社が支配しており、その技術力イノベーションの力は他国を寄せ付けない。また基軸通貨ドルを通して世界の金融を支配している。

 

ドル高になると中国との経済格差、金融格差は開くことになる。図表10は主要国の名目GDP推移であるが、日、ユーロ圏に続いて米国も中国に追い抜かれると信じられている。しかしドル高・人民元安が進行していくと中国はいつまでたっても、米国に追いつけなくなる。ドル高、人民元の減価が米中対立において米国を大いに有利化するだろう。

 

 

 

(3) 米国マイルドランディングが何故可能なのか

 

堅調な米国ファンダメンタルズ

インフレはピークアウト、FRBは断固とした利上げによりインフレマインドのスパイラル拡大にキャップをかけた。ターミナルレートは3%を超えていくが、そのもとでも米国景気は、雇用・投資・企業利益等が堅調でソフトランディングの可能性もある。実質賃金はマイナスだがコロナ禍の下で潤沢になった貯蓄と好調な雇用環境(給与・賃金)、財政政策の寄与により、消費は容易に失速しない。米国企業は10%近い増収が続き、賃金も上がるが企業の価格決定力も健在で、ドル高による海外利益の換算益減少を除き、利益率が大きく下がる要素はない、高利益が維持されるだろう。 

 

 

 

FRBの市場フレンドリー傾向に変化はない

FRBのインフレ抑制優先によりオーバーキルが回避されるのかが鍵だが、長期金利が抑制されていることにより、金融緩和という手段を使える。イエレン財務長官が主張する高圧経済状態を維持するという戦略が生かされるのではないか。比較的タイトな労働需給が続き労働者の強いバーゲニングパワーが維持されることで、企業には労働生産性向上のインセンティブが与えられ、それはサプライサイドも強化する。

 

その場合インフレ率3%へとターゲットをシフトする可能性もあり、FRBの市場フレンドリーという傾向は変わることはないだろう。となると2022~2023年はリセッションの年ではなく、長期経済拡大の中で3~4年ごとに訪れた2013年、2016年ような、ミニディップの年になるかもしれない(図表15)。

 

利上げ一巡、利下げが視野に入る2023年中には米国株式は騰勢に転じるかもしれない。

 

 

(4) “米国衰退論” は誤り~世界の民主自由主義秩序は再構築される

 

露中の跳梁は “力の空白” を生んだ米国外交の失敗、米国力の低下ではない

この米国が衰退しつつある大国であるかのようなイメージで捉えられ、それを信じたプーチンがウクライナ侵略の暴挙に走り、習近平が覇権挑戦を試みたりしているが、それはシンプルに間違いである。米国の地政学的プレゼンスの低下は、対テロ戦争が手詰まりになったことから始まった。オバマ氏が核廃絶を標榜し、世界の警察官を辞めると宣言したことで、「力による外交」を放棄したと誤解された。続くトランプ政権はアメリカファーストを唱えて自国中心主義に回帰し、昨年バイデン政権は何も得ないままにアフガンから撤退したことで、世界に大きな力の空白が生まれたことに疑いはない。習近平の南シナ海専横もプーチンのウクライナ侵略もそれにつけ入ったものであることは明らかである。それは米国外交の失敗であるが、米国の力の低下によるものではない。

 

ウクライナ戦争は世界リベラルデモクラシー秩序再構築の突破口に

ウクライナ戦争により、より大きな脅威が誰の目にも明らかになり、米国国内の保守派対左翼リベラルの対立は小異であることがはっきりした。今年11月の中間選挙等を経て、理想主義リベラルに偏った米国世論は再び現実主義に振れていくだろう。ドイツのパシフィズム(平和主義)からの転換、フィンランド、スゥエーデンのNATO加盟意向など、自由民主世界のベクトルも揃っている。力による現状変更を許さない世界秩序の再構築に向けて、かつてない求心力が高まるのは必至である。世界の自由主義秩序に疑問符を挟んだり、中ロのような米国衰退説を唱えることは、正しくないし、望ましい態度でもないことを強調しておきたい (ストラテジーブレティン303号4月18日) 。

 

 

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