2015年11月05日

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ストラテジーブレティン 第150号

これから始まるイノベーションの大揺籃時代
~「ザ・セカンド・マシン・エイジ」を考える~

ミラー: 皆様、こんにちは。武者リサーチ、ディレクターのミラーです。本日は、武者陵司先生に『ザ・セカンド・マシンエイジを考える』ということで、最近出版されました本についてお伺いしたいと思います。この本について、いくつかお客様からお問合せがありまして、武者先生はこの本を強く推していらっしゃるということで、出版社の回し者ではないかというようなご指摘もあるのですが、少し、この本についてご説明いただけますでしょうか?

 

武者: はい。このところ講演会などで、事あるごとにこの本を紹介しているものですから、出版社から何かプロモーションの依頼を受けてやっているのではないかというような疑いをかけられてしまっているのですけれど、出版元の日経BP社とは一切コンタクトはないのです。何故私がこの本を一生懸命紹介しているのかと言いますと、実はこの本の英語の原本が出たのは一年半前でのその概要をレポートなどで紹介してきました。ようやくこの8月に日本語の翻訳が出されて、私も英語でパラパラと見たものの日本語で改めて読んで、これは是非紹介したい本だと思いまして、事あるごとに紹介しているということです。私がレポートで紹介する以上にこの本を読んでいただいて、今起こっていることを皆様に理解していただきたいということが主旨なのです。

 

ミラー: 今起こっているということとは、どういったことなのでしょうか?

 

武者:まさしく今起こっていることは、『ザ・セカンド・マシン・エイジ』、つまり第二の産業革命が起こっているというのが、この本の著者であるマサチューセッツ工科大学教授のエリック・ブリニョルフソンとアンドリュー・マカフィーという著者が主張していることなのです。第二次産業革命ということなので、当然第一次がある訳です。第一次産業革命とは、今から200年程前に起こった蒸気機関などの発明によって、その後の動力がどんどん普及し、人間の筋肉労働が機械によって置き換えられたという時代です。

 

当時、最大の動力源は人間の筋肉とともに馬だったのですけれど、今やその人間より数が多かった馬が、ほとんどビジネス社会から消えてしまったというように、この第一次産業革命では圧倒的な動力の導入によって筋肉労働が人間といえ、馬といえ、ほとんど消えてしまったというのがかつて起こったことです。この第一次産業革命のお蔭で、我々は非常に高度な文明生活を享受することができるようになったということがありました。この二人の著者が主張している第二の産業革命とは何かというと、いよいよ筋肉ではなくて人間の頭脳を機械が代替する時代に入ったというのが主旨です。ロボットや人工頭脳、あるいはスマートフォンやクラウドコンピューティングなど様々な現在のシステムが、人間が今まで果たしていた頭脳労働をも代替してしまうことが起こっているということです。

 

その顕著な例は、自動車の自動運転です。運転というのは明らかに頭脳労働ですけれども、今や運転手がいなくても自動車が自分で判断して動くようになっている。この本に書かれているエピソードは、カリフォルニア州のサンフランシスコからシリコンバレーに走るワンオーワン、101という高速道路があるのですが、そこの高速道路ではグーグルの無人車が走っているということが紹介されています。日本でもトヨタ自動車が2020年には無人自動車を発売するということを言っています。実際、現実的に実用の域に達しているようです。となると、いずれ運転手がいなくても、あるいはスマートフォンが運転してくれるということになります。従って小学生でも運転できる。つまり、運転免許は要らなくなる。場合によっては、お父さんお母さんが子供を学校に送り迎えしていたのを全部機械が自分で判断してやってくれるなどということが起こる訳です。

 

これはかなり画期的なことだと思うのですが、これと類似した変化が至るところで起ころうとしている。今や翻訳もほとんど機械がやる。この本では、私がやっているような証券アナリストのような仕事も全部機械がやるから要らなくなるというのですけれど、そうなると人間は頭脳労働からも解放される。言葉を代えれば頭脳労働の仕事も機械に奪われる。今から200年前に、大変な数が存在していた筋肉を使って労働をしていた馬がこの世から消えた訳です。今、いよいよ頭脳労働をする人間ももう要らなくなるという時代に入ったとなると、人間は筋肉も使わない。そして頭も要らない。もう全員が失業する。コンピュータや機械が我々の仕事を奪うという時代に入るということなのです。実際に、いかに人工頭脳がパワフルかということはチェスだとか将棋に於いて、そのクラスの最高の名人・王者を人工頭脳コンピュータが既に破っているという実績から見ても、これはとてつもないパワーを持っているということが明らかだと思います。

 

さて、そういう時代を我々は一体どのようなものとして考え、どのように将来を展望したらいいのかということを書いているのが、この本なのです。そういう意味では、非常に示唆に富む本ですし、既に我々が直面している課題をはっきり面と向かって解きほぐしているという本だと思います。

 

ミラー: そうなると、人間は活躍する場面がなくなるような気がするのですが。

 

武者: そうですよね。基本的には、今までと同じ人間がやっていることはほとんど、機械がやってくれる。今や人間は筋肉労働を全く行いませんよね。恐らく筋肉労働と言ったら、スポーツ選手、浅田真央選手とかイチローさんとか、スポーツ選手は筋肉労働でしょうけど、しかし、普通の人はもう筋肉労働をやっていません。というようになると、今度は頭脳労働をやる人がいなくなる。困りますよね。皆が失業する。

 

さて、そういう時代をどのようなものとして捉えるかということが、今の経済学においても非常に核心的な課題になっているという風に思います。このようにして機械が人間を代替するということは、言葉を代えて言えば、生産性が劇的に高まり無限大に大きくなる。つまり、ほぼゼロの労働で何でもできてしまうということになると、労働生産性が劇的に高まるということです。つまり、今から200年前に起こった産業革命、筋肉労働が機械に代替されたという産業革命も、そして今起ころうとしている頭脳労働が機械に代替されるという、この動きもひとことで言えば、人間の生産性が劇的に高まって、場合によってはゼロの労働で何でもできてしまうというような無限大の生産性という時代に入っていく訳です。そうなると人間は全員が失業する。ということは、技術発展の先には全員失業という暗い将来が待っているという悲観的な見方も可能です。

 

実際、今から200年前の産業革命の時代には、ラダイト運動というのが起きて、自分たちの労働を奪う機械を壊せという労働運動がイギリスで大きく広がったことがありました。これは明らかに労働者の権利を守るというよりは、技術、人類の進歩を止めようとする反動的な運動というように言われているのですが、今の我々もコンピュータを壊してしまわないと我々の職が奪われるということが起こっている訳です。これは非常に由々しき問題である。さて、我々は機械に仕事を奪われて人類全部失業者となり経済は崩壊するのか。そうでないとすれば、どんな明るい将来があるのかということの解釈をしなければいけない場面に来ていると思います。

 

ミラー: ついこの間、10月21日に『バックトゥザフューチャー』の30年後がやってきた訳なのですが、30年前にこんなものある訳ないと思っていたいものが実際にほぼ完璧に起こっていて、今もまだ進化している訳ですね。ですけれども、私たちはまだ仕事がある訳ですし、30年前に比べて生活は良くなっている訳ですよね。

 

武者: はい、そうですよね。まさしく、そこがポイントだと思うのです。30年前だって、相当技術は進歩していました。コンピュータも既にありました。そこからさらにコンピュータが劇的に進歩し、生産性が高まった。従って、かなりの仕事はコンピュータに奪われたはずです。例えば、今から30年前ですと様々な企業は、データ処理に膨大な人間を抱えていました。経理処理だとか販売データだとかを全部手書きで、そろばんで計算していた訳です。そういう人々が、今や完全にいなくなったということは、職場から膨大な人々が消えた訳です。では、世の中全体として失業者が増えたかというと、この30年間全く増えていない。このように考えますと、やはり今起こっていることは、ただ失業が生まれて我々は職を奪われ、経済が衰弱するということではなかったということは明らかです。それは人類の歴史を振り返ってもそうなのです。一番顕著な例は、農業における生産性が劇的に高まったということです。

 

 

例えば、今から200年前は米国では74%が農民だったのです。つまり100人中74人の人間が一生懸命働いて、ようやく100人が食べられた。しかし今では日本でもアメリカでも、農民は100人中2人です。つまり、2人が働けば100人が食べられるというように、農業において生産性が劇的に上昇したのですが、ということは、現実には74人の農民のうち72人は農業から失業した訳です。従って、農業の生産性が高まっただけで、人々の生活が何も変わらないとすれば、生活水準が200年前と同じなら、72人が路頭に迷っているはずです。しかし、そうなっていないのは、農業から離れた72人が失業しているのではなくて、新しい仕事に就いているからです。その新しい仕事とは何かというと、ひとことで言えば、人々の生活をどんどん豊かにしてくれる仕事だと思います。食べることは農業の生産性向上によりたった2人の労働で満たされる。残りの72人は人々のよりよい生活をサポートする産業(それは200年前には存在していなかった)に雇用されているのです。良い衣料を着て、良い住まいに住み、良い教育を受け、良い医療を受け、そして良いエンターテインメントを楽しむというように、人生をどんどん楽しみ、人々の生活が良くなるということによって、それをサポートする新たな仕事が生まれた。これが人類の歴史です。

 

 

つまり、生産性がどんどん高まって労働力の余剰が増えれば、遊んでいる人が何をやるかというと、実は新たな、もっと人々を喜ばせる仕事を見つけて、そこに雇用が生まれるということです。例えば、良い例が、もう筋肉労働をしている人はいません。では、ミラーさんも私も全く筋肉を使っていないかと言えば、そんなことはないです。筋肉労働をしないからと言って、筋肉を遊ばせておいたら、もう老化して動けなくなる。従って、否が応でも筋肉を稼働させなければいけない。労働ではないけれども筋肉を使う。それは何かというと、スポーツです。つまり、筋肉労働は機械がやってくれるようになったけれど、その代わり我々は筋肉を使って一生懸命スポーツをやる。スポーツ産業が興る。そこで大きな雇用が生まれる。我々にとっては筋肉を使って苦しい仕事をするのではなく、筋肉を使って楽しむ。これからは、頭を使って苦しい仕事はやらなくていい。その代わり、頭を使ってどんどん楽しむ。芸術だとか、エンターテインメントだとか文学、色々なことがあると思います。そうすると今度はこちらに新たな雇用がどんどん生まれていく。このように考えれば、今起こっているセカンド・マシン・エイジ、つまり機械が人間の頭脳労働を代替するということは、暗い将来ではなくて、我々はつまらない頭脳労働、無味乾燥な頭脳労働から解放されて、よりゴージャスな頭を働かせる人生を楽しむことができるということです。そうすると発展する新しい産業というのは、人々をより楽しませる産業。このような新たな産業分野が、恐らく将来の人間の雇用を吸収する最大の産業になっていくと思います。つまり、これからは皆を楽しませるビジネス、これが一番成長するのだというのが『ザ・セカンド・マシン・エイジ』がおぼろげながら指し示している将来像だと思います。

 

最近日本でもある本が評判になっていました。それはどんな本かというと、『あと20年でなくなる50の仕事』という本です。まさしく、この『ザ・セカンド・マシンエイジ』が書いている機械が我々の仕事を奪うということを書いている訳です。50もある。しかし、私は、この本に決定的に欠けているのは別の側面、つまり、あと20年で生まれる50の仕事、と言う側面だと思います。歴史は技術革新と生産性の上昇によって50の仕事が失われ、そして新たに50の仕事が生まれてきました。人類の発展というのはそういうものです。新たに生まれた50の仕事はすべからく人々をより幸せにする仕事です。このように考えると、今起こっている生産性の上昇、産業革命は我々の工夫によって、より良い明るい将来が待っているのだということが言えると思います。しかし、そのためには、そのような明るい将来をもたらすための需要をどんどん増やして人々の生活が良くなる環境を整えるための政策的なお膳立てが必要です。やはり政策が非常に重要な局面に来ているということが言えると思います。

 

ミラー: はい、わかりました。本当に悲観的ではなくて、これからまた新しい産業も興るだろうと。失業するのではなくて、新たな需要創造、イノベーションによって雇用が生まれ、低失業率が維持される。

 

武者: 重要なことは、人間が筋肉も頭も使う必要がないということは、機械が全部やってくれることで、人間の生活がすごくイージーになり、我々のライフスタイルは今一段の向上が約束されているということです。振り返ってみると、今から100年前の我々の先祖には日曜日なんてありませんでした。お休みは盆暮れだけでした。しかし、今から数十年前に日曜日が休みになり、そして土曜日が半休になったのは、戦後のことです。そして、ここ数十年の間に月に一回土曜日がお休みになり、今では完全に土曜日がお休みになり、そして国民の祝日も増え、今や週休三日ということを言っている企業も出て来ている。間違いなく週休三日という時代になるでしょうけれども、その先は恐らく、そこで止まらずに週休四日、あるいは全休というのは言い過ぎかも知れませんけど、そういう風になっていく訳です。そうすると余暇がどんどん増えてくる。そして人々は持て余した頭脳と筋肉を一生懸命使う何か新しい試みを求めてくる。他方で、生産性が高まり企業が儲かるので所得はある。そうすると一体何が起こるのか。これはもう、パラダイスです。そのようなパラダイスに向かって人類社会は進化していっているのだというのが、私が常に主張しているポイントなのです。

 

注目するべきは、いま技術革新とイノベーションの最先端を走っている米国における人々のライフスタイルと消費行動の変化です。リーマンショック以降、先進国ことに米国では、企業業績が絶好調であることとは裏腹に、労働と資本の余剰が著しく、賃金低迷(=デフレ危機)と歴史的低金利という、教科書にない事態に直面してきました。第二次産業革命が劇的労働生産性の上昇を引き起し、雇用停滞つまり失業増加と賃金低迷をもたらしてきました。また同時に技術革新による設備・システム価格の急速な低下、つまり資本生産性の上昇をもたらしました。企業は好業績を享受しりながら、他方では人余り、金余りが併存すると言う今までの経済学では説明できない現実が引き起こされてきたのです。悲観主義者は雇用不振と賃金停滞、低金利をもたらしている余剰資本が十分に投資に振り向けられていない状態を、危機の深化ととらえてきました。確かに企業がいくら儲かっても失業が放置されれば経済は崩壊しますので、危機に深化する可能性があると言う側面も無視できません。しかし労働者のスキル向上と経済成長があれば、フル雇用と人々の生活の一段の向上が可能となります。企業の資本余剰はいずれ賃金上昇、株主還元、株価上昇となって消費を拡大させ、人々のライフスタイルは一段の高みに引き上げられるでしょう。

 

実際米国ではリーマンショック以降の辛抱強い量的金融緩和(QE)などの需要創造政策により、余剰労働者が着実に稼働し始め、失業率は大きく低下し、新規失業保険申請件数は過去最低水準まで低下しています。図表3にみるように、教育・医療、サービス業、娯楽・観光などの豊かな生活をサポートする分野で雇用が大きく増加しています。賃金もはっきりと上昇し始めました。インターネット・クラウドコンピューティング・スマートフォン革命によるイノベーションが大きく人々の生活とビジネススタイルを変え始めていると言えます。

 

 

 

 

将来はアプリオリに決められるのではなく、政策次第、人知の働きかけ次第なのです。私の思い込みを含めて、近刊「ザ・セカンド・マシン・エイジ」(日経BP社)はこの事情を見事に説き起こしていると思います。技術革命と新結合が花開く今こそイノベーションの大揺籃時代と言えるのです。

 

ミラー/武者: ありがとうございました。

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