2010年09月14日

PDFダウンロード

ストラテジーブレティン 第29号

潮目の変化②
民主党の変質が加速する、日本は再び飛躍台に立てるか

民主党の菅新代表が決まった。鳩山政権時代の迷走、菅後継暫定政権の政策不能化が終焉し、漸く国民待望の長期政権が誕生することとなる。この一事だけで株式市場と経済には大きなプラスとなろう。しかしより本質的なことは、マニフェスト遵守を主張した小沢氏が敗北したことにより、民主党の変質が急速に進む、と言うことであろう。目先の経済対策は緊要だが、より重要なのは新たな地政学レジームの構築である。それにより日本は再び飛躍台に立てる。

(1)民主党の変質により新たな政治が始まる

鳩山政権の挫折を引き継いだ菅氏は泥縄式に現実的柔軟路線に転換した(注1)。それへの対抗上小沢氏は頑なにマニフェスト順守を主張した。しかし従来の民主党政策は55年体制当時の社会党さながらの社会主義的理想主義的傾向を持っており、経済と日本の競争力を大きく損なうものであった。米国との同盟関係の軽視、アンチビジネス姿勢、アンチ自由主義姿勢、アンチグローバリゼーション姿勢、成長戦略の軽視、弱者救済など分配に偏った傾向、財源無視のバラマキと大きな政府、などである。好都合にも小沢氏のマニフェスト遵守主張が敗れたことで、菅政権はより大胆に政策転換をすることが可能となる。

ねじれ現象は野党政策を

その点で衆参両院のねじれ現象(野党が同意しなければ予算以外は何も決まらない状況)は、極めて好都合である。野党である自民党・公明党・みんなの党が拒否権を持つことになり、実現する政策は従来の民主党の党是とは全く逆の、日米関係重視、プロビジネス、成長重視とならざるを得ないが、それは日本経済と市場にとって望ましいものとなる。日本の有権者がもたらしたねじれ現象は、民主党の変質を促すという日本の政治を大転換させる英知であった、可能性が高いのである。 (注1)鳩山政権は国民の改革願望から生まれた政権とはいえ、政策体系から見れば55年体制の無責任野党そのものであった。しかしそれを引き継いだ菅政権は、驚くほどの厚顔さをもって豹変した。アンチビジネス姿勢の下で関係を断ち切った経団連との冷戦をやめ、協議を開始した。鳩山政権のつまずきを経て、政権担当直後に日米同盟の重要性の認識を改めて表明した。また税制改革、法人税率の引き下げを25%と具体的に提起した。さらに欠落していたとされる成長戦略を泥縄式ではあるが打ち出した。他方で国民新党との間で合意していた郵政再国有化・郵貯預金限度額引き上げと言った郵政法案はどうやら流産しそうである。また社民党が強く主張してきた労働者派遣法改正の断念、子供手当満額支給の撤廃、などアンチビジネス政策やばらまき政策の是正傾向が表れ始めた。そして自民党政策を乗っ取るかのように10%消費税増税を提起した。小沢氏が批判したのはそうした菅政権の豹変であった。

政策新人類のひのき舞台が整った

今後は与野党の政策の相違が小さくなり争点が見えなくなってくる。①デフレ脱却・成長の復元、②行政改革、③財政改革・国家債務削減のプラン、④グローバリゼーションに対応した日米関係の再構築など、誰が考えても緊要とされる課題を、小異を捨てて大同につくことで一気に推し進める実行力が求められる。その際金融危機の記憶がよぎる。1998年金融危機のさなか、やはり衆参ねじれ現象の下で、菅党首の下での当時の野党民主党は金融を政局とせずとして、政策新人類自民党、石原伸晃氏、塩崎泰久氏、渡辺善美氏、民主党の枝野幸男氏、古川元久氏などが立役者となり、金融危機の処理と金融制度改革を推進した。くしくも民主自民両党の幹事長は枝野氏、石原氏、みんなの党代表は渡辺氏と、いずれも政策新人類である。ここは大連合などの奇策によって局面打開を図る知恵が求められる。

ミッテラン社会党政権の成功体験の踏襲を

菅政権の鼎の軽重はこの豹変をものとするか否かにかかっている。フランスのミッテラン社会党政権の成功体験を踏襲できるだろうか。1980年代初頭、政権を獲得した社会党ミッテラン大統領は当初、社会主義的理想主義の下で、産業の国有化、富裕者や企業の層への課税強化、低所得層への所得補てん、など様々な反市場的政策を打ち出した。しかしそうした社会主義的政策が景気低失速とインフレーションに帰結するや、それらを打ち捨てて正反対の自由主義政策に転向し、減税や社会保障の削減などを打ち出し、その後の長期にわたる経済回復を実現した。そしてついには保守系のジャック・シラクを首相に登用し保革連合体制を築き上げた(7月10日産経新聞正論 櫻田淳氏)。今日の日本は当時のフランスに酷似しており、菅首相の手腕次第で、ミッテラン改革の成功体験を踏襲することが可能である。

民主党の歴史的役割

ミッテラン政権の教訓をひも解くまでもなく、経済改革においては反ビジネス・左翼系政権の効用というものがある。ある政策に対する最も強力な反対勢力がその政策の推進者に転向すると、政策転換は著しく容易に進むということは歴史上往々にして起きてきた。日本の明治維新を遂行し開国を実現したのは、かつての攘夷派であった。米国においても米中国交回復や、米ソ軍縮交渉を実現したのは、ともに反共色の強い共和党政権であった。日本に真のプロビジネス政策と自由主義、市場主義を根付かせるためには、既得権益と利益誘導体質を疑われている自民党ではだめで、心を入れかえた民主党こそ、国民の信頼を得てその推進者になれる、と言うことがあるのではないだろうか。

(2)グローバリゼーションの中での日本の立ち位置が鍵

グローバリゼーションの下で政治の選択肢は限られている

民主党が根底から党是を転換せざるを得ないのは、グローバリゼーションの進展の中で、各国の政策選択の余地が著しく小さくなっているからである。世界経済統合、国際分業の進展、は今や誰にも否定できない歴史的現実となっている。先進国の豊かな消費生活も新興国の台頭もグローバル化の賜物である。グローバリゼーションは企業に①大きな新興国市場と成長機会、②超安価労働力の利用による超過利潤、③豊かな投資機会、を与えている。どこの国にあっても成長セクターはグローバルの側に立った企業である。企業と個人がグローバルの側に大きな機会を見出す以上、国家に選択の余地は無い。かつて保護主義、反グローバル主義をうたって、経済の自力開発を進めるモデルが優勢であったが、今や19世紀に成立した国民国家は、グローバル経済統合の前に大きく無力化している。企業・個人が国家を選ぶ時代に各国政府の選択肢は大きく低下した。安全保障、民主主義、市場経済の徹底により自国経済と自国の企業、個人をグローバル競争の中で有利な立場に立たせること、が至上命題である。

井の中の蛙、日本

こうしたグローバル化の潮流に対して香港、シンガポール、ドバイ、韓国など小国は比較的容易に対応してきたが、大国は巨船故に転換が困難であり中でも日本が最も遅れている。かつての国際競争は企業間の戦いであったが、今の国際競争はグローバル経済の中での各国の場所取り争いである。各国は企業に有利な税制、産業立地優遇、有利な為替誘導、政府ぐるみのプロジェクト輸出、など重商主義ともとれる自国優位の政策を恥ずかしげもなく押し出す時代となっている。

決定的な覇権国との関係

グローバリゼーションへの対応にとって最も肝要なのは覇権国米国との関係である。それは次の二つの理由による。第一にグローバリゼーション進展における覇権国米国のリーダーシップがより一層必要な時代となっている。新興国の成長、経済プレゼンスの高まりがあってもヘゲモニーの交代はない。第二に中国の台頭が米国とグローバリゼーションに対する潜在脅威となり、近未来の中国脅威を取り除きくための日米同盟の必要性が強まっている。

近代日本の盛衰を支配した地政学

考えてみれば日本の近代史は地政学上のポジショニングによって規定されてきたと言える。1967年から1930年代末までの60年間、近代日本が世界史にも稀な驚くべき躍進を遂げたのは、言うまでもなく明治維新による近代国家の樹立があったからである。1930年代後半から1940年代にそれが否定され、敗戦により大破局に陥った。そして1950年から1990年までの40年間、再度日本は奇跡の復興と大成長を遂げたが、それを支えたのは日米安保体制であった。そして1990年以降日本経済は歴史上にも稀な長期の停滞に陥ったのであるが、それは、日米安全保障条約の変質と関わりがあると考えられる。1990年までの日米安保はまさに極東の防共の砦としての役割であり、日本はその様に育てられ世界第二位の経済強国となった。しかし1990年のソ連・共産主義世界体制の崩壊により日米同盟の役割は、一旦は終わった。それにもかかわらず日米同盟が存続し続けたが、その戦略的意義は大きく変質したと考えられる。安保瓶のふた論、つまり日本の核武装、軍事大国化を抑制することが米国にとっての安保の意義だ、と言うのである。同時に経済面では1980年代後半から日本経済脅威論がまきおこった。放置すれば日本経済が米国経済・産業を衰退させるという危機感が米国を捉えた。日本経済は官僚支配・規制・系列・土地本位制金融なとの資本主義とは異質の要素により競争力を強めておりそれは不公正である、日本の異質な部分を変えさせ日本企業を米国企業とおなじ土俵で戦わせることが必要(レベリング・プレイングフィールド)という「日本異質論」である。そして実際日本に膨大な圧力がかけられ、1980年代後半以降日本の経済政策は米国対応に翻弄され、米国の要求を大いに受け入れた。日米安保瓶のふた論は米国の対日経済戦略の遂行に当たって、大きな力となったのである。1990年以降20年間の「日本病」と形容される経済停滞はこの米国の経済圧力と異常な円高によってもたらされた、と言える。

中国の台頭と安保再構築の必要性

しかし2010年に入り、再び日米安保条約を再評価する必要性が高まっている。1990年代の「日本異質論」に代わって「中国異質論」が台頭している。中国は1980年代末の日本以上に、近い将来近隣破壊的強さを持つことを恐れられている。現在中国のGDP(2009年、4.8兆ドル)はほぼ日本と同等、米国の3分の1であるが、このままいけば10年以内に米国を凌駕する可能性が高い。中国のそうしたプレゼンスは現在の問題ある市場主義、民主主義、法治主義、財産権、知的所有権の状況からすると、世界のかく乱要因になりかねず、覇権国米国が容認できるものではない。しかも中国の強さは、日本以上に技術・資本・市場などを海外に依存した成長構造に起因しており、それはフリーランチの側面が大きい。

新たな地政学レジームの構築は、日本再飛躍の鍵

中国を抑制し自己変革の圧力をかけ続けるためには、その隣国の日本のプレゼンスの高まりがバランス上求められることである。長期経済停滞により日本人が資本主義や市場経済に対する信頼を失い、漂流し始めれば、東アジアは大きく不安定化する。ここは日本経済の浮上が、覇権国米国にとっても緊要となってくる場面である。それはペナルティーとしての異常な円高が再現する可能性を一段と低くするものである。1990年以降の安保瓶のふた論の時代は終わりつつあると言える。このように長期にわたる日本経済繁栄のカギを握る地政学要因、覇権国米国のパワーゲームは20年ぶりに日本にとって好都合の方向に吹き始めている。日本経済がデフレ、長期停滞から本当に脱出するチャンスが巡ってきているのは明らかである。鳩山政権の混乱した対応にも米国が辛抱強く付き合っているのは、日本が極東の安定にとって再度重要となり、日米安保の意義を再確認しているからに他ならない。こう考えると日本は数十年に一度の政治レジームの転換点に立っていると言える。今歴史が迫っている日米同盟の再構築は、近代日本が三度目の飛躍をする好機となるかもしれない。この機会をどうとらえるか、菅政権の能力が問われる。

会員登録はこちら

武者サロンでは会員向けに情報の配信・交流、勉強会等、別途サービスを展開します。会員登録は無料です。

スマートフォンサイト