2010年02月25日

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投資ストラテジーの焦点 第K288号

『日本のデフレ論その2
日本を強くした「失われた20年」』

逆説的だが、「失われた20年」は決して無意味な停滞ではなかった。真実は逆で、むしろ今後の日本の成長を可能にする二つの条件を形成した20年、試練の20年であったと言えるのではないか。日本(特に日本企業)は見事に対応し、二つの大きな成果が獲得された。第一は、空前のコスト引き下げ、効率化、リストラ、賃金抑制。第二は、企業のグローバル化、世界市民化である。円高デフレが終焉すると、日本が過去20年間努力して獲得してきたこれら二つの要素が花を開かせる。1ドル110円程度になっていくと、企業収益は劇的な回復を見せるだろう。 過去20年間日本の購買力平価は200円からほぼ100円近辺へと半減したが、これは、日本が世界で最もコストを引き下げてきたということを意味しており、実際、過去20年間の単位労働コストは、日本は突出して低下した。これは今後の日本企業の競争力を大きく支えるだろう。 また円高に対応して以前は極めて内向きであった日本企業が、ダイナミックに国際化した。加えて困難な時期にあっても、日本企業の技術優位性は特にハイテク素材、部品、装置などのブラックボックス化された部分で十分に温存されている。 こうした成果は、日本の異常な高競争力に対するペナルティとしての円高が終焉し、購買力平価(2009年115円/ドル)程度までの円安となれば、企業収益の劇的上昇として顕在化する。円/ドルレートを見ると、今まさに2008年のリーマンショック後の円高が終わり、米国景況感の回復とゼロ金利解除により円安局面に転換していく場面にある、と考えられる。それは円安⇒デフレの終焉⇒日本経済の成長率の高まり、という好循環の始まりとなるかもしれない。 目次 (1) 円高デフレの第一の成果-高コストの是正 (2) 円高デフレの第二の成果-企業のグローバル化と技術優位保持 (3) 円高は終わるのか?デフレは終わるのか? (4) 「日本異質論」の終焉、デフレの終焉

(1) 円高デフレの第一の成果
-高コスト構造の是正

日本を鍛えた円高デフレ

確かに苦しい20年であった。しかし「失われた20年」というより「試練の20年」、日本(特に日本企業)は見事に乗り切り、二つの大きな成果が獲得された、という側面にも注目するべきであろう。第一は、空前のコスト引き下げ、効率化、リストラ、賃金抑制、規制緩和、第二は、企業の国際化、グローバル化、世界市民化である。

進展した高コスト構造の是正

第一のコスト引き下げについて。コスト引き下げの成果は、1990年代前半と今日とを比較してみればよくわかる。それを1993年の大和総研の調査プロジェクト「内外価格差の解消と規制緩和」を振り返ることで確認してみよう(当時私は大和総研に勤務しており、このプロジェクトを主宰した。詳細は「規制緩和で業界はこう変わる」大和総研調査本部著、1993年、日本実業出版参照)。大和総研の狙いは、「当時著しい円高(1993年には1ドル107円)が起こったのに、その時の購買力平価は1ドル=190円にとどまっており、内外価格差がほぼ2倍に広がった、その日本高物価の状況と原因を諸外国との比較において解明しよう」というものであった。主要な21品目別の価格差要因を海外とのコスト構造比較によって解明し、解消の道筋を明らかにすることがテーマであった。当時の東京は世界最高の高物価都市であった。その高物価状況は図表2に示す通りである。21人のアナリストが価格差の原因を検証したところ、その主因は、①極端な円高により(ドルベースでの)人件費が異常に高くなったこと②日本企業の高コスト構造(経済全体では流通コストが高く個別企業では販売管理費など間接費の負担が大きいこと)③日本の規制・効率無視の企業慣行、等であることが明らかとなった(図表3)。 従って円高を所与のものとすれば、当時の日本の正しい処方箋は、以下の3つであることは明白であった。A労働生産性を引き上げて高賃金負担を吸収すること、B企業のリストラ・効率化と流通改革、C規制緩和と競争促進による市場価格の引き下げ当時私が勤務していた大和総研はもとより、政府もオピニオンリーダーもメディアもこぞって、上述の3点の実施を求めてきたのである。

日本の高物価は完全に是正された

さて、その18年後の総括はどうであったか。マクロの動きを示す日本の購買力平価は一貫して上昇し、1990年代前半の1ドル200円から2009年には1ドル115円と、対ドルでほぼ2倍となったことは、前回レポートで述べた通りである。日本の高物価・高コスト構造は大きく改善されたのである。品目別の動きを見ると、1993年当時米国比で1.5~2倍以上であった公共料金の価格差は全く無くなった。航空運賃や地下鉄料金、電話通信料金は、むしろ日本の方が安くなった。2倍以上開いていた電力の価格差もほぼ無くなった。価格差が2~11倍と極端な物価高であった食料品も、小麦で11倍から1.3倍へ、ビールで2.5倍から1.2倍へと接近してきた。食品価格差のメルクマールとなっているマクドナルドのビックマックは日本の方が米国(ワシントンDC)よりも15%安くなっている。アパレルもユニクロなどの商品価格は米国よりも相当安価である(日本の直近データは主として国際金融情報センター「各国の物価水準(日本の物価との比較)」2009年9月29日による)。

単位労働コストの低下

それではこの価格低下はどのようにして実現したのだろうか、上述①~③それぞれについて見てみよう。①の円高による人件費高に関しては、生産性向上と賃金低下により見事に達成したと言ってよいであろう。図表4に見るように、日本企業は主要国を上回る生産性の上昇を実現しながら、賃金を大きく抑制してきたために、単位労働コストは、先進国の中では唯一、顕著に下落したのである。

流通改革は顕著

②の高コスト構造に関しても、見事に対応できたと言ってよいであろう。企業の間接費・販売管理費の削減は大きく進展した。また流通改革は顕著で、重層的であつた商流においては中間卸の中抜きが進展した。その象徴はSPA(小売り製造業Specialty store of Private label Apparel)という新しいビジネスモデルの急成長であろう。SPAを最初に提唱したのは米国のGAPであるが、それが日本で花開いた。1980年代までの日本でサプライチェーンを支配していたのは、製造業であった。その後、卸が主導権を握るアパレル(製造卸)が衣料品の分野で支配的になった。そして今、小売りが川上を支配するユニクロ、ニトリモデル=SPA(小売り製造業) による徹底した流通の効率化が、勢いを増している。ユニクロは小売企業でありながら製品開発から製造までを行い、その間の中間物(インターミディアリー)は完全に省略された。家具・インテリア・日用品のニトリも同様の形態で成長している。 また楽天の躍進に見られるように、インターネットによる直接販売が勢いを増している。さらに過去20年間の小売市場でシェアを著しく高めたコンビニが多段階の流通経路を大きく省略した。このような流通改革旗手3業種(SPA、インターネット販売、コンビニ)の躍進により、日本の流通は大きく効率化しつつある。

規制緩和も進展

規制緩和・行政改革も、十分とは言えないが進展している。上述の公共料金の著しい価格差縮小は、規制緩和と競争促進政策導入の賜物であったと言える。やや古くなるが、2006年12月の内閣府による「構造改革評価報告書6」は産業横断的な規制緩和の進捗状況を指数化しているが、図表5に見るようにその進展は明確である。また同報告書は規制緩和がどれほど生産性の伸びに寄与したのかを試算しているが(図表6)、(過大推計の可能性はあるものの)それは非製造業においては顕著な貢献をしていたことがうかがえる。

(2) 円高デフレの第二の成果
―企業のグローバル化と技術優位保持

グローバル展開進む

次に円高デフレに喘いだ過去20年の第二の成果、グローバル化について見てみよう。急速なグローバリゼーションの進展と軌を一にして、日本企業の海外投資が増加し海外生産比率も大きく上昇した。1990年代初頭、「日本異質論」が吹き荒れた。日本は「国内市場を外資に対して閉鎖しながら著しく競争力の強い商品を国内で作り、海外に集中豪雨的に輸出して、相手国の産業をなぎ倒し、雇用を奪う要塞国家」と非難された。図表7に見るように当時の日本の海外生産は10%弱で、欧米先進国に比べて大きく立ち遅れていた。しかし2007年には33%と主要国とは遜色無くなり、日本企業は海外でも雇用を奪うどころか、雇用創造の担い手となっている。日本製造業の海外生産比率を所得(付加価値)ベースではなく実態の工数ベースに近い雇用数ベース比較すると、海外生産比率は優に5割を超えていると推測される。日本企業の海外ネットワークの布石は完全に終わったと言えるのではないか。 以上の様に20年前の日本の二つの欠点であった、高コストと閉鎖性は大きく是正された。加えて尚、日本の技術優位、品質優位の商品が多く存続している(韓国企業の躍進など一部に綻びは見られるが)。日本企業は円高デフレの困難な局面で単位労働コストを大きく圧縮しながらも、技術開発投資には優先的に資金を配分してきた結果である。

技術優位が活きる新ハイテク分野

日本製造業の技術・品質優位の中心はハイテク部品・素材・装置であろう。液晶テレビ、携帯電話、パソコンなどハイテク最終製品で日本勢劣勢であるが、より重要な要素技術の固まりである部品や素材においては、日本の優位は圧倒的である。太陽電池用シリコン・バックシート・ガラス、封止材、電気・ハイブリッド自動車向けリチウムイオン電池、半導体レジスト、モーター、電子部品などがその範疇に入る。昭和シェル石油が太陽電池に参入し、トクヤマ、信越化学、SUMCO、新日本ソーラなどは相次いで太陽電池用シリコン増産に踏み出している。半導体から派生したハイテク素材、部品、装置の全てを一国内に集積しているのは日本だけであり、そのシナジー効果は大きな優位性である。 太陽電池やリチウムイオン電池は技術発展の途上にあり製造プロセスの標準化が困難なために、半導体が陥ったような後発国の追い上げは当分起きず、日本の技術優位が維持される可能性は大きい。また半導体とその派生技術などから生まれた環境関連でも日本は圧倒的な技術競争力を持っている。純水装置、海水淡水化用逆浸透膜、排水リサイクルシステムなどの水処理関連、風力発電のブレードに使われる炭素繊維なども日本の独壇場である。日本は世界インフラ関連にも優位性をもっている。新幹線ではベトナムが日本製採用を決めた。電力ではクリーンエネルギーとして再注目を浴びる原子力発電で強い。

日本が得意な人間中心イノベーション

製造業の日本製品の品質に対する評価は明白であるが、それは非製造業においても共通していることが、徐々に明らかになってきた。むしろこれまで内需産業と見られ、国際競争の俎上に乗ってこなかった非製造業や消費財産業でも品質優位が顕在化してくるのではないか。今後アジア中心に、新興国の所得が大きく上昇してくると、日本の品質に対する評価が差別化と高価格化、つまりクオリティー・プレミアムをもたらすことになる。Wii(任天堂)、SUICA(JR)、ヒートテック(ファーストリテーリング)などのヒット商品開発に見られるように、製造業、非製造業を問わず、日本人は人間中心のイノベーションが得意であるといわれる。日本のサービス品質に対する評価は、観光業などにも当てはまる。ここ最近、富裕化するアジア人、特に個人観光ビザが解禁された中国人観光客が大きく増加する趨勢にある。

(3) 円高は終わるのか?デフレは終わるのか?

円高終焉で成果一挙に顕在化、収益急増へ

以上のように見てくると、「失われた20年」とは、日本が真にグローバル化に対応し、グローバル市民としての内実をコスト面、ビジネス展開面から推進した時代(規制緩和や行政改革などの課題は残されているものの)、将来に向けての発展の基礎を固めた時代と言えるのではないか。その成果は今後円高デフレが停止したとき、著しい企業利益の増加として表面化するだろう。そこで鍵となる円高は終わるのか、そしていつ終わるのか、を考えてみよう。

為替水準は何によって決まるのか

為替水準の決定要因は何か。実務面からとらえれば、①購買力平価要因(物価上昇率格差要因)②金利差要因、のいずれかによって決定されると考えられる。購買力平価要因は物価上昇率格差が直ちに貿易財の価格競争力に影響を与え、貿易収支(経常収支)を変化させ、為替需給を動かす。図表9に見るように、経済が成熟した主要国為替レート推移を辿ると、概ね購買力平価レートを軸に、プラスマイナス30%程度の幅で変動していることが分かる。長期的には通貨は購買力平価に収斂すると言える。その中での変動は主として金利差要因で説明できる。景況感格差に由来する金利差は資本収支に影響を与え、主に短期の為替需給を動かしてきたのである。

異常なペナルティ円高の定着

このように本来為替動向は、①か②によって説明できるはずなのに、①でも②でもない異常値の円高が1990年代の日本に定着した。円が急騰した1980年代後半、又は1994年頃、日本の金利水準は米国に比べて名目でも実質でも決して高くはなく、金利差要因から円高になる必然性はなかった。また購買力要因面でも購買力平価は1ドル200円近くと低く、かつ物価上昇率格差もわずかだったので、1ドル100円超までの大幅な円高を正当化する理由とは到底言えなかった。つまり日本の1990年代以降の円高は極めて特殊な円高、日本へのペナルティとしての円高と考えられる。1990年当時の手がつけられない日本の競争力、近隣破壊的競争力、その結果としての大幅貿易黒字を抑止するためのものだったと言える。日本の突出した競争力は①ただ乗り(米国の寛大な技術供与、市場開放など)②固定レート時代、1ドル360円という購買力平価からかけ離れた過度の円安が続いたこと③日本の閉鎖市場、等過去の特殊な環境の賜物であった。故に長期の経済合理性から考えれば、フリーランチを清算するものとしての異常な円高にも必然性があったと考えられる。

2008年からの円高要因は金利差

もっともようやく膨大な内外価格差(ドルベース輸出価格を上回るコスト高)は解消した。2009年のGDPベースの購買力平価は115円と、実際の為替レートにほぼ収斂してきている。また、日本の突出した産業競争力も韓国、中国などの台頭により、過去のものとなった。日本の貿易黒字は大きく減少し、対外経常黒字は残っているものの、中国の影に隠れて殆ど見えなくなっている。日本は15年以上かけて、ただ乗りのコストを払い終わり、もはや購買力平価を上回る円高を甘受する必要はなくなった、日本円は今や他通貨と同様、購買力平価プラスマイナス30%で推移する普通の状態になった、と言えるのではないか。 このように考えると、2008年後半以降の110円から直近85円(購買力平価比30%高)までの円高は、ペナルティとしての円高の再来では全くなく、ひとえに米国の大不況・ゼロ金利導入による金利差要因の円高であった、と結論付けることができる。従って、今後米国景況感の回復と米国のゼロ金利解除が実現すれば円安転換が起きると予想できる。既に米国公定歩合の引き上げなど、緊急避難的金融緩和の出口論議が浮上しており、円高のピークは過ぎたと考えられる。

為替の自己実現性に注意すべき

もっとも為替の自己実現性、一方方向のスパイラルには注意が必要である。円高でも円安でも、ひとたび一方向に揺れると円高(円安)が更なる円高(円安)の原因を作り、円高(円安)に弾みがつくという傾向である。円高→デフレ・実質金利高→一段の円高、円安→インフレ・実質金利低→一段の円安、という悪循環である。それは為替変動を極端にし、経済の持続性・サステイナナビリティーを阻害するので望ましくない。従って適度の為替介入は必要である。また日本の現状を考えた場合、購買力平価(2009年115円/ドル)に収斂する適度の円安水準が望ましい。それを実現する為替政策・金融政策が望まれる。

(4) 「日本異質論」の終焉、デフレの終焉

「日本異質論」の消滅

考えてみると、日本の困難は1990年代初頭の「日本異質論」から始まったように思われる。1980年代末に日本製造業の世界経済秩序破壊意的な競争力の強さが明白となった。日本には異常な競争力の強さが近隣破壊に結び付かないように自己変革するか(海外での雇用創造や国内市場開放など)、競争力の抑制が求められた。超円高はそのためのコストであったが、それが日本にデフレをもたらし、長期経済停滞「失われた20年」をもたらしたのは、前回のレポート(投資ストラテジーの焦点287号)で詳述したとおりである。しかし、今や日本は異質ではなくなった。

「中国異質論」の台頭

代わって「中国異質論」が台頭し始めた。中国は1980年代末の日本以上に、近い将来近隣破壊的強さを持つことを恐れられている。現在、中国のGDP(2009年、4.8兆ドル)はほぼ日本と同等、米国の3分の1であるが、このまま行けば10年以内に米国を凌駕する可能性が高い。名目成長率を米国5%、中国15%とすれば5年後に米国1.27倍、中国2倍、仮に人民元が5割切上げられるとすれば、ほぼ5年余りで名目GDP規模は米国に肉薄することになる。外貨準備は更に増大し、中国のバインクパワーが他を圧することは間違いない。中国のそうしたプレゼンスは現在の中国の市場主義、民主主義、法治主義、財産権、知的所有権の状況からすると、世界のかく乱要因になりかねない。 しかも中国の強さは、かつての日本以上に技術・資本・市場などを海外に依存した成長構造に起因しており、それはフリーランチの側面が大きい。中国を抑制し自己変革の圧力をかけ続けるためには、その隣国の日本のプレゼンスの高まりがバランス上求められることである。それはペナルティ円高が再現する可能性を一段と低くするものである。

2010年代、デフレ終焉後の日本繁栄

このようにして円高が終焉すると、バラッサ・サムエルソンの仮説に基づく好循環が始まる。つまり、ようやく日本でも高い生産性上昇率に基づいた賃金上昇が始まる。それは直ちに国内の非貿易財産業の賃金水準にも波及し、サービス価格インフレを引き起こし、名目経済を拡大させる。増加した賃金は消費増加に割り当てられ、経済成長率を高めるという経路である。それは「失われた20年」に円高デフレをもたらしたものと全く同じ原理が、逆方向に働くということである。このような環境では、生産性上昇率格差インフレが再現する。つまり生産性が高まらない内需系のサービス産業であっても、インフレにより賃金と利益の上昇が可能になるということである。そうした好循環を早期に実現するためにも、円高デフレの悪循環を回避するリフレ政策が決定的に重要となるだろう。

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