2022年02月21日

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ストラテジーブレティン 第299号

「消費は美徳」思想のルネサンスを
~経済敗戦の根本原因、デフレ容認心理の定着~

(1) 日本に染み付いた消極的経済心理

 

「潮が引いた時、誰が裸で泳いでいたかがわかる」、はカリスマ投資家W・バフェットの言葉であるが、コロナパンデミックは我々に意外な気付きを与えた。日本人の萎縮した経済心理が世界の常識からかけ離れているという事実である。

 

コロナ感染による健康被害は、感染者数や死者数を人口対比で見ると、日本はアメリカ・イギリスの10分の1弱で先進国では最低である。しかしコロナ危機以降の経済の落ち込みと回復の遅れという経済被害では、日本はG7では最悪である。この驚くべきギャップは、心理要因以外考えられないというのが、東大教授の渡辺努氏の分析である。パンデミック下においては、「コロナ感染を防衛したいという欲求」と、「経済活動を損ないたくないという欲求」の、相反する二つ欲求の葛藤が生まれるが、両者のバランスにおいて日本は世界の平均から大きくずれている。それはとりもなおさず、日本においてアニマルスピリットが極端に棄損されているという事実である。

 

渡辺氏は近著「物価とは何か」(講談社)で、1960年代にIMFにおいて「世界には4つの国しかない、先進国と発展途上国、そして日本とアルゼンチンだ」というジョークが話題になったというエピソードを紹介している。日本の戦後の高度成長とアルゼンチンの長期凋落は他に例がないので、この二国のデータはどんな分析でも外れ値になるという意味であったのであるが、驚くべきことに50年後の今日においても日本とアルゼンチンの世界平均値からの極端な乖離は別の形で続いている。G20に参加している主要国の中では日本は唯一のデフレ国であり、随一の高インフレ国がアルゼンチンである。日本はその異質性を知るべきである。

 

デフレが日本のアニマルスピリットを破壊した

しかし、この消極的経済心理は、日本に昔から備わっていたものではない。20年以上にわたって続いたデフレがアニマルスピリットを破壊したのである。バブルが崩壊して以降、リスク回避、挑戦の回避という選択が常に正しかったのであるから、それが経済心理として定着したのは無理からぬことである。「キャッシュイズキング」、「下山の思想」、「成長しない現実を受け入れる定常社会論」など、日本にだけ驚くほど多くの反成長主義の主張が生まれたが、そうした日本特有の議論はデフレが定着化したことで正当化されてきた。

 

デフレは売り手から買い手への所得移転なので、トータルでは中立である。買い手である消費者には有利に、売り手である企業には不利に働くので、消費者にはいいことだという議論をよく目にする。今時点だけを考えればそのとおりだが、それがどのような結末をもたらすのかが重要である。収益を損なわれた企業は雇用を減らし賃金を引き下げざるを得なくなり、結局失業が増え賃金は下がり、家計の消費を痛めていく。企業は経済社会で唯一の価値を作り出す主体なので、企業活動を損ないイノベーションを停滞させることは、長期的に大きな損失となるのである。

 

また、デフレは実質金利を高め、借り手をさいなむ一方、現金選好を高める。将来の貨幣価値が高まるので人々は消費を先送りし貯蓄に励む。そして投資を止め、現金をため込む。経済の血液である資本が循環しないのであるから、体はじわじわと蝕まれていく。これが失われた20年の実態であった。

 (2) 経済は「放っておけばデフレになる」

 

生産性上昇がデフレ圧力になるメカニズム

なぜ「消費が美徳」なのかを理解するためには、経済というものは、放っておくと自然にデフレになる性質を持っているという原則を確認することが大事である。社会が発展すれば技術も向上していくので、生産性が上昇する。すると供給量が増えるので、ものの値段が安くなる。いままでと同じ時間働いて、より多くのものが生産できるようになる。その分、需要が大幅にアップすればよいのだが、同じ程度にとどまったら価格は低下していくというのが、経済学の大原則である。

 

たとえば、需要が変わらず生産性が2倍になったとすれば、以前が200日/年だった労働時間は100日/年に減少する。残りの100日分の賃金を支払う必要がないから、企業収益が増える。そしてその分、製品価格を値引きできる。こうして価格を引き下げないと企業は競争に勝ち抜くことができない。一方、労働者は余るから賃金の引き下げ競争が起きる。つまり経済というのは自ずとデフレに向かっていく性質を持っているのだ。

 

これは単に日本国内だけの問題ではなく、世界は「需要不足のリスク」に直面している。グローバリゼーションとDX革命によって世界は空前の生産性上昇の時代に入り、供給力増加に弾みがついている。中国・インドなどの農民が近代工場労働者になり、飛躍的な生産性革命が進行している。そのスピードは18〜19世紀の産業革命とは比較にならないほどである。産業革命時代の工場は、せいぜい蒸気機関程度の装備であったが、今日では電力、半導体などを駆使し、数百倍の能力の機械装備を備えている。空前の技術革新に加えて、全世界で数十億人という壮大な人口の新興国が、驚くほどの速度で生産性を引き上げている。 

 

指数関数的な技術と生産性の上昇を統計は捕捉できない

この生産性上昇の果実は経済統計ではほとんど捕捉できていないので、人々は需要不足とデフレリスクのマグニチュードを軽視してしまう。例えば写真撮影や音楽鑑賞は今や完全に無料になり、我々はほんの10年前の何倍、何十倍もの撮影活動や音楽鑑賞を楽しんでいる。しかし写真フィルムと現像の産業、音楽記録版(レコードやCD)と再生機の産業はこの世から消え相当の雇用が失われた。これを経済統計では経済活動の縮小(=価値創造の減少)ととらえるが、無限大の価格下落を使って実質化すれば、実は巨額の価値創造が起きているとの認識が正しい。そうしたデジタル、ネット、AI化による産業と雇用の破壊(=巨額の目に見えない価値創造)がいたるところで起きている。筆者の親しい零細調査会社は昨年英文レポートの作成を無料の自動翻訳に切り替え、年間数百万円の翻訳コストを削減したが、それなどは、卑近な例である。

 

半導体の集積度の高まりを示すムーアの法則は2年で2倍(=10年で32倍、20年で1000倍、30年で33000倍)という指数関数的変化を続けているが、通信伝送容量の高速大容量化も同様に指数関数的進化を遂げている。このペースでコストが低下しているのであるから、その実用化による生産性の向上は想像を絶するものがあると言うべきで、それによってもたらされる便益の増加は計り知れない。と言うことは、統計で認識している以上の生産性の上昇(=供給力の増大)とデフレ圧力が、今日の世界経済を覆っているということである。 

 

資本主義の進化をもたらした「消費は美徳」思想

では、デフレにストップをかけるにはどうしたらよいのか。それは、この著しい供給力の増大に対応した新たな需要をいかに生み出すか、にかかっている。望ましいのは生活水準が飛躍的に向上し、消費意欲が活発になって需要が喚起されることである。そうでなければ過剰生産のために全世界が壊滅的な大不況に陥る。生産性が2倍になったら、生活水準を2倍に引き上げて需要を喚起する方策を取るのだ。仮に昨年は、年間に100日働いて100万円の給与を得て100万円の生活をしたとしたら、今年は同じだけ働いて200万円の賃金を得て、200万の生活をするようにしないとバランスが取れないのである。

 

1800年には、アメリカの総人口に占める農業人口は74%だった。それが2000年にはたった2%にまで低下した。200年前は74人が農業生産に従事して100人分の食料を供給していたのだが、いまはたった2人ですむ。1人で1.35人分から、今は50人分つくれるまで農業生産性が上昇したのである。とすると、それまで農業に従事していた72人は失業ということになる。では彼らはどこに行ったのか? 農業以外の新しい仕事に就いたのである。それがどんな仕事か、現在の私たちの職業を見ればよくわかる。今日の職業の大半は、200年前に存在しなかったものである。それは「人間の欲望を充足する手段としての産業」、言い換えれば人々の生活を豊かにする新しい産業が生まれた。高度大量消費を可能にするさまざまな工業製品、それを支える石油、電力などのエネルギー関連、増加した所得を処理する金融業、外食、レジャー、スポーツ、エンターテインメント、旅行、ファッション、近代教育、近代医療などの分野で、新しい雇用が生まれた。 

 

 

資本主義経済は、こうした新しいよろこび、欲求の充足のパターンを開発して発展してきた。新しく社会的な付加価値を産むビジネスが開発されたことで、余剰人員や余剰資本がスムーズに吸収されてきたのである。かつての王侯貴族のレベルの生活水準を大半の市民が謳歌できていることで、デフレが阻止され、経済成長が続いてきたのである。マルクスの予言『労働の搾取による資本の過剰蓄積と利潤率低下 → 資本主義崩壊』という暗い将来予想は完全に外れたが、それは人権を尊重する民主主義の下で所得が再配分され、「消費は美徳」思想が勝利したからである。

 

米国で共有されている「消費は美徳」思想と、逆の日本

この歴史的事実を認識しない人々が「貯蓄は美徳だ」などと叫ぶが、技術はどんどん発展していくので、贅沢(=生活水準の向上)をしなかったら失業者が増えるだけである。「消費は美徳」という単純明快な事実を唱える学者やエコノミストは日本には少ないが、米国ではそれは常識である。米国の政策の第一義的目的は、老後や将来不安の解消でも財政健全化でも、格差の縮小でもなく、ひとえに生活水準の向上にある。

 

日本ではバブル崩壊以降は、「成長しなくてもいいのだ」という清貧の思想が一世を風靡した。しかし、一見ストイックな、人々の倫理観に訴えるこの思想は、経済史的見地から見れば誤りだったのは明らかである。日本は何としてもこの後ろ向きの経済心理を払しょくしなければならない。

 

FRBは「インフレタカ派に変わったのか」

付言すると、米国の経済金融理論にしても、経済金融政策にしても、「消費は美徳」を前提的価値観として形成されている。それを「貯蓄が美徳」の価値観を持つ日本の学者や官僚が解釈しても、的外れになるのは当然であろう。

 

米国ではコロナパンデミック対応の緊急避難的超金融緩和が終わり、長短金利の急上昇と株価下落が起きている。FRBはインフレを軽視し引き締めに遅れてしまった、遅れを取り戻すために急激な利上げは不可避で、深刻な株価調整がおきるとの、タカ派的観測も浮上し、日本にはその支持者が多い。

 

FRBは「インフレタカ派に変わったのか」それとも「ハト派のままなのか」は、今年の投資戦略を分かつ問題である。その答えは米国経済政策の指令塔が「消費は美徳」の価値観を持っていると認識するかどうかであろう。

 (3) 今日本で始まった脱デフレの好循環

 

日本でも資産インフレが始まっている

グッドニュースはデフレの最悪期はアベノミクス登場で過ぎ去ったことである。円高が止まりデフレ(恒常的物価下落)も終焉し、日本においても企業には旺盛なアニマルスピリットが戻っている。リーマンショック後2021年までの世界株価を比較すると、日経平均は4.1倍とドイツDAXと同等の上昇であり、NYダウ5.1倍に続き世界では二番手である。GAFAMにけん引されたナスダックの11.2倍には見劣りするが、中国や韓国の2~3倍と比較すれば良好である。 

 

資産デフレは不動産においても終了している。日本の不動産価格は世界の中で突出した長期下落のさなかにあった。図表6に見るように2000年以降大半の国で住宅バブルが形成され破裂したが、そのほとんどは数年で底入れし、過去のピークを奪回している。日本だけはバブル崩壊後20年にわたって下落が続いたが、アベノミクスが始まった2013年以降、マンション価格と商業用不動産価格は大きく上昇に転じている(図表7)。 

 

 

価格競争力復元が企業収益急伸をもたらす

また2021年度の日本の企業収益は過去最高を更新する勢いである。図表8により法人企業統計の経常利益率を辿ると2013年ごろまでは4%を天井として循環していたが、2013年頃より急伸し今日でほぼ8%と過去最高水準である。日本企業の価格競争力を損なった超円高が終焉し、価格競争力が急回復したことが大きく寄与している。円の実質実効レート(2010=100)は1970年の70から1995年には150へと急伸したが、2021年には再度1970年代の70へと戻った。それは日本企業の国内コストが貿易相手国に対して2倍に上昇し価格競争力を著しく損なったが、そこから日本の相対物価が1995年比で半減し、価格競争力が著しく回復したことを示している(図表9,10)。 

 

 

また企業の経営改革も進展している。DX革命、GX革命を前に企業改革が待ったなしであるという覚悟は、今や共有されている。銀行や財閥系などのエリート企業の指定席であった株式時価総額上位に、キーエンスやリクルート、信越化学、日本電産、ダイキン工業、村田製作所、HOYAなどのグローバルニッチトップ企業が名を連ねるようになった。経営改革に先行したソニーや日立も復活している。現実社会における課題解決にハイテクをどう活かしていくか。新フロンティアとしてのサイバーとフィジカルの統合(cyber physical interface)で活用されるセンサーやモーター、パワー半導体などの要素技術において日本は世界最強の多くのプレイヤーを擁している。

 

金融でも、世界に冠たるベンチャー資本家孫正義氏、世界に類例のない投資銀行である総合商社、SPA(製造小売り)を極めたファーストリテーリング、マッチングビジネスのリクルート、EVで世界をリードできる可能性があるトヨタ等、ユニークなビジネスモデルが揃っている。日本企業の出番が近づいている。

 

株式投資の世界でもこれまでの日銀と外国人に代わって日本の個人が大きな投資主体になっていくだろう。NISA、iDeCoという個人の株式投資口座が急伸し、両者合計で1200万口座を突破した。日本では1040兆円と個人金融資産(年金保険の準備金を除く)の75%が利息ゼロの現預金に眠っており、それは世界最大級の投資の待機資金と言えるが、それが今動き出している。企業における価値創造の復活、株価上昇と個人のリスクテイクの活発化という形で、失われたアニマルスピリットが着実に改善しているのである。今確実に動き始めたこの好循環を守り育てていくことが、強く望まれる。

 

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